湊かなえさんの小説「母性」が2022年11月に映画化されるということで、小説を読み返しました。
ちょうど3年前に読んでいたのですが、すっかり話の内容を忘れていたので(汗)、再読です。
この記事では
- 映画を観るにあたって、楽しみにしていること
- 3児の母である私が小説を読んだ感想
について、つらつらと書いています。
ネタバレを含む形での感想になります。未読の方は、ご注意ください。
映画「母性」に期待していること
女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。
母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」。 世間は騒ぐ。これは事故か、自殺か。
……遡ること十一年前の台風の日、彼女たちを包んだ幸福は、突如奪い去られていた。
母の手記と娘の回想が交錯し、浮かび上がる真相。これは事故か、それとも――。
圧倒的に新しい、「母と娘」を巡る物語(ミステリー)。amazonホームページより抜粋
湊かなえさんの小説は、不穏な空気にドキドキしながら読み進めるのが「病みつき」になる要素かと自分は思っているのですが、この本は存分に堪能できました。
特に、母の手記には気持ち悪さがつきまといます。
母と娘、どちらの視点で映像化されるのか
まず期待というか、単純に
この小説を、どうやって映像化するのだろう、ということ。
小説自体は、「ある国語教師の視点」「母(ルミ子)の手記」「娘(清佳)の回想」という3つの視点からお話が構成されています。
母と娘それぞれが、自身の体験を告白しているのですが、同じ出来事について告白しているのに、2人の話は噛み合っていません。
娘は母の期待に応えたい、義母や叔母にイジメられる母を守りたい、という思いから健気に立ち向かっているだけなのですが、母は娘のことをかなり悪く捉えすぎる傾向です。
物語の終盤では、核心に迫るポイントで母が娘を抱きしめようとします。しかし、娘の回想では、全く逆でした。それが娘が自殺しようと行動するきっかけにもなるのですが、どっちの言っていることが事実なのか、釈然としません。
- 第三者目線で物語は進行して、その中で母親と娘の思いが読み取れるような演技になるのか?
- 母親目線で1回、娘目線で1回と、同じ出来事が微妙に異なるニュアンスで2回流れるのか?
どっちなんだろう、どっちにしても、この小説の雰囲気は伝わるのかな・・・?と。
どうやって映像化されるのか、全く予想ができません!
国語教師の正体と、冒頭の新聞記事のトリック
最後のほうで徐々にわかってくる、叙述トリックっていうんでしょうか。
このトリックをどうやって、映画に落とし込むのか楽しみです。
- 国語教師は成長した娘(清佳)であること
- 冒頭の新聞記事の女子高生の飛び降り自殺の記事は、母親(ルミ子)と娘(清佳)とは全く無関係であったこと
些細なところだけれど、他にも
- たこ焼き屋兼居酒屋を営業する「りっちゃん」が、叔母の律子であること。
- りっちゃんのところでアルバイトをしているヒデくんが、あの手のかかる憲子の息子の英紀であること。
徐々に母娘の独白と、国語教師の現在にリンクするところが出て来て、国語教師の正体がわかってくる面白さが小説にはありました。
映画ではどう表現されるのか楽しみにしています。
子育ては結果論なのだと実感
3児(小学生2人と幼稚園児1人)を子育て真っ最中の私が、読了してまず思ったことは、
子育ては結果論ってことです。
- 冒頭の新聞記事に騙され、娘(清佳)を自殺に追い込んでしまったことを、母(ルミ子)が神父に懺悔していると思い込んで小説を読み始めると、母が歪んでいるから、しわ寄せが子どもに行ってしまうという、その過程を恐々読み進めることになります。
- ラストで明らかになる、色々あったことが嘘のように、意外なほど平和な日常を送っている田所家の様子を知ると、母が歪んでいても、真っ直ぐ育つ子は育つことを思い知ることになります。
子どもを自殺に追い込んだ母親の狂気とはどんなものか、恐々としながら読み進めたのですが、新聞記事の女子高生は無関係でした。
娘(清佳)は自殺未遂をしていますが、母に追い込まれて自殺を図ったというわけではなく、過去の忌まわしい事故による母の苦悩を思いやり、母を想って自分が死ねば解決するという「子が母を想う愛」のために自殺未遂をしました。
母(ルミ子)はだいぶ歪んだ性格だったけれど、娘(清佳)は真っ直ぐ育ったんですよね。
母(ルミ子)が夜な夜な娘(清佳)を叩く描写があるのですが、どんな環境でも、真っ直ぐ育つ子は育つ。
子育ての成功・失敗なんて、はっきり定義なんてできないし、そもそもどの時点でそれが判断されるものなのかもわかりません。
でも、子育てを「成功」の時点で振り返った場合と、「失敗」の時点で振り返った場合とでは、子育ての内容は同じなんだけれど「成功」か「失敗」かってジャッジされてしまうんですね、他人から。
だから、結局、子育てって結果論だよなって読み終えて実感しました。
清佳はルミ子を恨んでいないし、自分が子どもの頃に母親からやってほしかった事を生まれてくる子にしてあげようって考えます。その考え方が母性であることを再読して理解できた気がしました。
子が親を愛する気持ちは、親から子への愛よりも真っ直ぐ。
母娘のすれ違いが高じて、最終的に娘が生きていくのがつらくなって自殺したのかと思いきや、清佳は母の為を想って、母親への愛があるからこその自殺未遂でした。
清佳は国語教師として立派に自立して、結婚もして妊娠していることがラストでわかります。
ルミ子は未だ精神的に自立できていない女性で、承認欲求が異様に強い女性でした。
自分の喜怒哀楽や家族(夫・娘)よりも、周りの評価や世間体が一番大事な人。
自分を一番正しく評価してくれる母親(清佳の祖母)を亡くして、その原因が清佳にあることから、清佳を心の奥底で憎むようになったルミ子。
清佳は自殺未遂をするけれど、それは母親に愛されない自分に絶望するというよりは、祖母の死の原因が自分自身だった事実と、それによって母親と父親が苦しんでいたことを知ってしまったことにあります。
母親(ルミ子)に殺されかける清佳。
清佳は、ルミ子が子殺しの罪を犯すことがないように、母親を想う心から首吊りによる自殺を選択します。(義母のグッジョブで、自殺未遂で済みました。)
子どもの親への愛は、親の子どもへの愛よりも深い・・・と思わずにいられませんでした。
田所家での同居生活は、自分だったら無理~ってすぐに家出してるレベルの過酷な描写でした。
ただ、無理しなければ良かったんじゃ、とも思うんですよね。鬼嫁になって、夫と娘との生活を大切にするって宣言すれば良かった。無理なものは無理って言えば良かったのに~って、読んでる者としては思う。
夫ももう少し妻を大事にしてほしいですよね。理由付けて家族から距離を取るって、一番やっちゃいけないことだよね。
夫がもっとしっかり妻を支えないと、妻は子どもをしっかり愛せないと思うのでした。
母である自分自身がハッピーでいないと、子どもも幸せを感じられない。だから、自分自身の心が落ち着くことを目指して動くことは、けっして悪いことではないと感じました。
この本の母(ルミ子)は、他人の目を気にしすぎて、娘をしっかり見つめていないと感じました。
「母性」は映画館に1人で・・・。
戸田恵梨香さんが好きなので、映画館に足を運ぼうと思っています。
最終的に、子どもが「この家に生まれて来て良かった」って思ってくれるような母親になれればいいけれど、自信は持てないし、映画を観て1人でしんみりしてきます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
湊かなえ作品感想の記事はこちらです。
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